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アイのショウメイ 
えーっと、長いこと放置して大変申し訳ありませんでした。一応謝る!
というわけで映画感想。雑多!そして長い!(分けなさいよ・・・)
「グーグーだって猫である」「デトロイト・メタル・シティ」「大決戦!超ウルトラ8兄弟」「ランジェ公爵夫人」「落下の王国」「容疑者Xの献身」

「グーグーだって猫である」
猫が主役ではなく、漫画家が主役の映画でした。
「私の漫画は、私をそれほど幸せにはしてくれません」(うろ覚え)って言う時の小泉今日子さんの顔が凄かった・・・。
大後寿々花ちゃんのサバは、何だか年齢があやふやで、確かに歳をとったひとの響きがあって、良かった。あの対話の時、声の他は音がなくて、劇場が本当に静かだった。
ナオミの「何年もいきなり歳をとってしまったような気がした」っていうのは、凄く漫画読みには分かる表現な気がします。漫画だけじゃなくって、小説でも、アニメでも、ドラマでも演劇でも映画でも何でも。自分の人生以外の経験値をいきなり積まれてしまう。すごい納得した。

映画を二本見に行ったら、図らずもヒーローもの二本立てに。
「デトロイト・メタル・シティ」
クラウザー様よりも根岸の時のくねくねの方がアレだった。何故あんなにダサくキモくなれるのか!
意外に定番のギャグコメディで青春成長話映画だったので、フラットに見れました。下品な言葉も結構歌とか映画とかいう型に嵌めてしまうと、何だか昇華されてしまう気がするので、むしろ肩すかし食らったくらい?
自分の目指すのとは違う方向で評価されてしまう自分とのギャップ。それの結果があのラストの世界崩壊ライヴで、そこで「甘い恋人」歌っちゃうのは「くるぞくるぞ・・・」と思ってたら本当に来たとかいう。本当に鉄板だったなぁ!
この映画がヒーローっていうのは、「憧れる存在」「夢・希望を与えてくれる存在」っていうものとしてクラウザーがいるからで、それはファンのみならず根岸自身にとってもそうだという。
当たり前なんだけどさ。クラウザーが本当はメイクした普通の人間で、あんな爆発食らったら死んじゃうかもしれないっていうのは当然の話なんだけど、それでも元が漫画だからかキャラクターっぽいからか、信者が「地獄から帰られた!」とか言うのを聞いてると何かその辺が怪しくなっちゃって、倒れたクラウザーを皆が応援する声を聞いて、何か胸に迫りました。本当は悪魔でもなんでもない普通のただの人間なのは知ってるけど、でも夢とか希望をくれるクラウザーさんにクラウザーさんでいて欲しい無事でいて欲しいみたいな感じが伝わってくるっていうかそんな風に見えたので。
映画だったなぁ。

「大決戦!超ウルトラ8兄弟」
取り敢えず先に。ウルトラマン初回放送時っていつの話・・・?
まぁあのダイゴ・アスカ・我夢が幼馴染みってところにまず驚いたんですけどね。
本当にメビウスのミライだけミライで、カップルっぽいところがなくて寂しそうでした。しかしあの兄弟尋ねるシーンは可笑しかった。
それで、分かるのはほぼガイアだけだったわけですが、我夢とアツコの別れるシーンは二人らしくてよかったなぁ。
でもってガイアが登場するシーンのあの土埃がどーんと舞い上がるシーン懐かしかった!おぉガイアだー!
見てて思ったのは、一度ヒーローになったら、もう一生、死んでもヒーローなんだなってことです。何かで「映画一回撮ったら、それ以降の肩書きはずっと映画監督」って言うのを見て、それと似たようなものかもしれないなって。何にしろヒーロー大好き。

「ランジェ公爵夫人」
分かんなかった!
フランス貴族(19世紀)めんどくせー!でした。しかもパンフの解説読まないと分かんない。
しかしまぁそれで設定見たわけですが、あ、これ無理だなこの二人、って感じです。それでなんかもう時代感覚も文化も著しく違うので、分かんなくて見てる最中は眠かったです。恋はどんな状況下でも発生しうるけど、それがどう結実するかっていうのは全く別の話ですよねー。
ただ公爵夫人が拉致られて焼きごて押されようって時にむしろ喜んで身を投げ出して「つまり、私を捨てることは出来ない。あなたは永遠に私のもの」って言うところは面白かったです。所有されることで相手を所有する。あーこの逆説的な感じ。
まぁ社交界のご婦人、政治に利用されるんでもなければ、恋の火遊びでもしてなきゃ退屈で死ぬよな・・・。これはこれですごい文化だと思います。文学?
最後秘密結社の修道院侵入大作戦には正直大の大人が何してるんだろうとは思いました。まぁ拉致part.2自体はいいんですけど、城下に攻め入ってってお前ら何人よ?てゆーかナニ様お貴族様?最悪だな!と思ったんですけど。更にこの恋愛のいざこざを一遍の詩で片づけられると本当に貴族って・・・。とか開いた口が塞がらない心地です。
将軍、野人だの武人だので公爵夫人とは対象的なんですけど、でも結局彼も侯爵で貴族なわけで、何かその辺の思考回路のアレさについて行けないフランス文学てかバルザック。
えーと。映画自体の作りで言うと、画面が古い感じで。見慣れてるって程ではないですが、感覚的に今のも昔のも初めて見るものって点では一緒なので別に。でも、原作に忠実に作られたせいか、映画的に?映像的に?観てる人に分かりやすく作る気は更々ないらしく、完全異国人の私には分かりづらかったです。多分、分かりやすく撮れない材じゃないんだけど、そうしたら意味ないんだろうな。

「落下の王国」
お母さんの持って帰ってきたチラシの異様な「画」に惹かれて観に行ってみた。
前半は、やはり物語の世界が視覚的に楽しませてくれる。世界中の遺産や自然、それから衣装。
ところで現実の場所は病院。画面から明るさと暗さが同時に浮かんでくるみたいな。病院嫌いです。
話の最後の方、頭を打った少女は絶望し切った男に話の続きをせがむ。もうこのあたりで見ているのが苦しかった。どこかしら映像的に統制を取ろうとしていた前半に比べ、敵兵士達の重そうで無造作な動き方も、戦士たちの死に様も、どこか放り出したような感じがあって、現実でも少女の懇願に男は絶望と強引さしか返さない。少女を結局こんな目に遭わせた責任を取ろうとするわけでもなく、男は自分の物語を語る。死の影、絶望、無責任さ。何でこんなもん撮ったんだろうこの人たち。
前半はただ、幼い頃の寝物語の感触を思い出した。少女の演じているとも思えないような拙さ、自然さが凄くいい。ただ、それが現実的すぎて後半が余計に苦しい。ロイのベッドに乗っかって、お話を聞くアレクサンドリアの様子が好き。
お話を語ることで、男が自分も救われて行くのかと思ったら、最後の最後にほんの少し救っただけで、終わった後も苦しかった。そんなもんなんだろうけど。だから、何でこんな映画撮ったの。
ハッピーエンドが大好きで、物語はそうあって欲しいと思うので、そして無造作に人が死ぬ“物語”は嫌なので、何だかあんまり人にお勧めしたくありません。
それから、「王国」と聞くと、閉じたものを想像してしまう。だからイメージは重なって閉塞している。島国に生まれ育ったからか。物語の舞台は、現実には世界中の遺跡や自然の中にあるのに。

「容疑者Xの献身」
とにかく、堤真一がいい。
冒頭、隣家の母子のやり取りを聞きながら目覚める石神のほっとしたような顔。弁当屋で交わすぎこちなく会話とも言えないやり取り。湯川が尋ねてきた時のもてなす動作。表情。あと、工藤が弁当屋に来た時に見せる苦しい表情も非常に良かった。
で、一方の見所は「人間」湯川なのですが。ただの物理学者ではなく、友人として石神の心の淵を覗いてしまう。理解出来ないと語った「愛」。誰も幸せにならない「謎」。それでも最後のあの選択を、私は正当だと思う。石神の純粋さは胸を打つけどさ。でもやっぱり違うだろ。
ところで湯川先生、石神に「友達じゃない」と言われたり内海刑事に「友達」とか言ったり、びっくりしましたね!友達!あんた友達だと思ってたのか!?(ならいっそう最終回ちゅーしちゃえば良かったのにと思ってることは秘密です
連ドラと同時企画の映画化にしては大変健闘した良作だったと思います。面白かった。
しかしあれだな。堤さんが京極堂として能弁に喋ってるところを知ってると、今回のこれとか、ギャップが面白かったなぁ。湯川がその位置で、堤さんの石神は押さえて控えめで、むしろ京極堂に祓い落とされそうな立場で。クライマーズハイ、見ればよかった。
ところで、ドラマ風にサブタイを付けるなら、「献身す」と書いて「アイす」かな。すいません普通!
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